なぜ扇子をデザインしようと思ったのか、とよく聞かれる。
きっかけは記憶だった。香港の夏、祖母はいつもサンダルウッドの扇子を持ち歩いていた。子どもの目には、開閉する仕組みの精巧さも、等間隔に縫いとめられた骨の細さも、ひと扇ぎの風音も、すべてが特別に映った。7歳でカリフォルニアへ渡ると、扇子は私の世界から消えた。数十年後、友人と訪れた京都の土産物屋で再会したとき、美しいとは思った——でも、何かが足りなかった。それが出発点だった。
扇子の歴史を辿る
竹製の扇には、多くの文明より長い歴史がある。平らな団扇は周王朝(紀元前1046〜256年)の中国に始まり、古墳時代(300〜710年)の日本宮廷に伝わった。¹
折りたたみ式の扇子は、日本の発明だ。平安時代の京都で生まれた。² 檜の薄板を糸で綴じた形に着想を得た廷臣の話もあれば、丹波の豊丸が蝙蝠の翅を見て構造の本質を悟ったという伝説もある。³,⁴ 起源はともかく、「おうぎ」——檜製であれば「ひおうぎ」——は実用品として始まり、宮廷作法の道具となり、詩と絵を纏い、女性の装いに溶け込んだ。² 寺社から戦場まで、扇子はどこへ行っても意味を帯びた。
京都から名古屋へ、江戸へ。それぞれの土地が独自の素材と様式を育てた。京都では「京扇子」が今も婚礼や茶会、能・狂言・日本舞踊の場に息づく。²
10世紀頃には紙の折りたたみ扇子が生まれ、988年には僧・奝然が扇子を宋朝への外交の贈り物として持参した。¹,² 交易を通じて高麗へも伝わり、それぞれの地で独自の美意識と儀礼が育まれた。³,⁴,⁵
ポルトガル商人が明代中国と戦国時代の日本との海上交易を開くと、折りたたみ扇子はリスボンへ渡った。⁵,⁶,⁸ そこから地中海全域へ。ヴェネツィアが流通の拠点となり、スペインでは「アバニコ」となってフラメンコと宮廷文化に織り込まれた。⁶ 1533年、カトリーヌ・ド・メディシスがフランス宮廷に持ち込んだ「エヴァンタイユ」は、一世代で貴族のたしなみとなった。³,⁴,⁵
この伝播の軌跡が示すのは、扇子が根を下ろした土地の文化を吸収しながら、その構造の本質を手放さなかったという事実だ。貴族的であり、同時に普遍的。そういう形は、そう多くない。
京都で気づいたこと
京都に移り住んで、まず思ったのは地元の扇子職人と組みたいということだった。500年の歴史を持つ老舗と、90年の工房。外国人で日本語もままならない私がデザインを見ていただけたのは、今思えばかなり幸運だった。目標は、若い世代やグローバルな層に響く現代的な作品を共につくりながら、後継者のいないまま衰退しつつある技を次の文脈へ引き継ぐことだった。
そこで知ったのは、デザインは問題ではないということだった。問題は構造にあった。
京都の扇子生産は「京都扇子団扇商工協同組合」が管理する。⁹ 明治期に設立されたこの組合は69の会員を擁し、骨の本数(25〜35本以上)、男女別の寸法、使用可能な色に至るまで、京扇子の仕様を厳密に定めている。江戸扇子が一工房で全工程を手がけるのに対し、京扇子は5つの専門工房による完全な分業体制だ。⁹ 標準化された部品が組合のネットワークを通じて流通する以上、どこか一工程を変えればサプライチェーン全体が揺らぐ。内側からのイノベーションは、構造的に不可能だった。
両工房は、中国を勧めた。京都の業者の一部が、すでに扇子や竹素材を調達している産地だ。
安徽省で出会ったもの

中国にも千年の扇子の歴史がある。そして同じく、後継者の危機がある。
清朝の崩壊、二度の大戦、大躍進政策、文化大革命——中国の工芸の伝統は、過去一世紀で幾度もの断絶を経験した。グローバルな製造大国として台頭するなかで、手仕事の文化的価値は大きく損なわれた。熟練には数十年かかる。しかし職人は、それに見合う報酬も尊重も得られていない。その結果があちこちに現れている——後継者のいない、最後の世代の名人たち。
私が安徽省に求めたのは製造委託先ではなかった。中国の手工芸には本物の価値があるということを——人々に対しても、職人自身に対しても——証明したかった。そして、職人という道を選ぶことを若い世代が考えるきっかけになれば、とも思っていた。
縁と粘り強さの末にたどり着いたのが、「竹の産地」安徽省で160年の歴史を持つ、王家の6代目が率いる工房だった。王さんはその時点で新規の客を受けていなかった——熟練スタッフが引退し、生産能力はかつての10分の1ほどに落ちていた。それでも、この問い合わせには何かが違った。片言の中国語を話す中国系アメリカ人の女性が、NDAを持参してやってきた。それは、彼が一度も求められたことのないものだった。
最終的に動かしたのは、デザインではなかった。扇子に新しい未来をつくれるかもしれないという、共通の確信だった。
コレクションを仕上げるまでに2年かかった。正直に言えば、互いに諦めかけた瞬間が何度もあった。王さんの側からすれば、注文量は少なく、初めての客で、デザインは複雑、品質基準は異例に高かった。私の側からすれば、精密なブリーフと正式な契約書という西洋流の仕事慣行は、工芸工房との関係にはなじまなかった。大学で少し中国語を学んでいたが、信頼できる中国人の友人に通訳と仲立ちを頼んだ。
続けられた理由は、取引上の計算ではなかった。扇子に新たな命を吹き込み、工芸に尊厳を取り戻したいという、同じ願いがあったからだ。

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工房と、その記憶
王家の扇子作りは清朝・同治年間(1862〜1875年)に遡る。初代が浙江省で技を学び、安徽省に移って自らの工房を開いた。毛沢東の時代には集団経営に組み込まれたが、1980年代の開放後、家族は私営工房として再起し、今度は規模と国際市場——主に日本と韓国——を射程に入れた。
20年ぶりに訪れた中国は、想像と少し違った。村は思ったより静かで、思ったより現代的だった。伝統的な徽州建築の傍らに高級車が停まり、竹林と茶畑が広がる。3世代の職人たちと、20年以上この工房に勤める人々に会えた。最年少でも40代だった。
印象に残ったのは、竹の技が工房の外にも普通に存在していたことだ。レストランの水筒は竹で編まれ、家の中には竹の家具がある。生活が素材と、素材が育つ土地と、そこに生きる人々と、今もつながっている場所。そういう場所が失われる前に目を向けることには、意味があると思った。
王さんは高校を辞めて父に弟子入りした。どの木を選ぶか、いつ切るか、60工程以上に及ぶ製造の全てを知っている。紙、布、竹のみ——それぞれ異なる工程を持つ多様な扇子を手がける。最も珍重されるのは、病による紋様など、竹そのものに宿る自然の文様を活かした素材だ。希少で、高い。品質の幅は、東京五輪の記念品から美術館レベルのコレクター作品にまで及ぶ。
王さんは言った。安徽省の折りたたみ扇子の生産があと10年続けられるか、と。同じ地域で会った職人たちは皆、自分の業について同じことを語った。
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次の一折
結局のところ、扇子というものは製品の在り方について驚くほど一貫したモデルを示している。急速に再生する地域の素材(竹、木綿、紙)から作られ、地域の人々が数十年かけて培った技によって生まれ、原料の産地と共生し、自らを失うことなく異なる文化の美意識と儀礼を吸収できる。帝国を、交易路を、革命を超えて千年以上生き続けてきた。それは機能だけのためではない。もし機能が全てなら、電気扇風機に取って代わられていたはずだ。扇子が生き残ったのは、美しく、儀礼と結びついているからだ。機能的であると同時に象徴的——その二重性を持つ製品は、実は少ない。私たちが目指すべきはそこだと思う。
シリコンバレーで長年働いてきた人間として、労働を自動化すべきコストと見る産業の論理には慣れている。だからこそ、工芸の論理が静かに根本的に見える。それは別の生産の姿を示している——地域に根ざし、素材に誠実で、文化を生む。ノスタルジーではなく、次の時代の現実的な選択肢として。
References:
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Nippon.com, Sensu: Japan's Elegant Folding Fans. https://www.nippon.com/en/japan-glances/jg00138/
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Fan Circle International, Japanese Fans. https://fancircleinternational.org/japanese-fans/
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Swiss National Museum, A Little History of the Fan (2022). https://blog.nationalmuseum.ch/en/2022/10/a-little-history-of-the-fan/
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Mukashine Sewing, A Brief History of Folding Fans, With a Side of Mythbusting (2023). https://mukashinosewing.com/2023/06/27/a-brief-history-of-folding-fans-with-a-side-of-mythbusting/
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Ohnishi Tsune, About the History of the Fan. https://www.ohnishitune.com/en/fans/about-the-history-of-the-fan/
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The Grace Museum, Illustrated Happy Hour: History of the Hand Fan (2020). https://thegracemuseum.org/learn/2020-6-17-illustrated-happy-hour-history-of-hand-fan/
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Domus Web, Fan History and Design (2025). https://www.domusweb.it/en/design/2025/07/17/fan-history-design.html
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Museu de Angra do Heroísmo, Abano-Lequio: Folding Fan. https://museu-angra.cultura.azores.gov.pt/en/others/historical-pieces/abano-lequio-folding-fan/
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Kyoto Folding Fan and Round Fan Association of Commerce and Industry (京都扇子団扇商工協同組合). https://sensu-uchiwa.or.jp/w/whatis/







